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ごあいさつ

あなたの悟りへの道のガイド役でありたい、管理人の中島タローです。当ブログをご訪問いただきありがとうございます。

当ブログはスタート(本当は再スタートなんですが)したばかりで、まだ中身が少ないですが、これから頑張って中身をドンドン充実させてゆく所存ですので、ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

こちらの手違いにより、今は閲覧できなくなってしまった“初代『悟りロード』( このURLのやつ→satori-kakusei.com/wp)” に掲載されていた旧記事の復活と、新記事の追加の両面から、当分の間は記事を増やしてゆこうと思っております。

当ブログと併せて、youtube動画の方もご覧いただけると幸いです。

中島タローのyoutube動画

私の悟り観・真我観の超概要

トップページということで、当ブログの根幹をなす私の悟り観・真我観の概要をここで述べておきましょう。

まず真我観からですが、私の言う真我は心でも体でもない第三の何かです。ここに言う心とは、顕在意識のことではなく、心の一番深い層までも含めた最も広い意味における心を指します。

ご存じの方はご存じのように、心の一番深い層は一般的には普遍的潜在意識もしくは集合的無意識と呼ばれることが多く、時には宇宙的無意識などと呼ばれることもあります。が、いずれにしても、その心の一番深い層を真我とする見方がスピリチュアル界隈においては圧倒的な主流であることを考えますと、前述のような私の真我観というのは、すくなくとも今の時点では異端と言えると思います。

で、これは私の常套句の一つなのですが、この真我は心が脇に置かれた時、顕在化(露呈)します。ちょうど、雲が去ると青空が広がるのと同じようにです。そして、真我が顕在化いたしますと、悟りが発生する可能性が生まれます。ここに言う悟りとは、真我が真我自身に気づくという不思議な転回のことです。

この不思議な転回を、真我を青空になぞらえて喩えるとすれば、青空が青空に気づくようなものだとも言えます。

ちなみに、ここに言う「気づき」とは、心の働きの一つである「感じること」とは別物であることを申し添えておきます。誰にでもなじみのある、心の働きの一つである「感じること」とは別物であるということからも、ここに言う「気づき」というものの特殊さが、お分かりになるでしょう。

さて、以上の話を聞かれて皆さんはどのような感想を持たれたでしょうか。おそらく、その中の一つは次のようなものであるに違いありません。

私たちの心が脇に置かれたら、後に残るのは私たちの体だけではないのか。だって、私たちには心と体の二つしかないはずだから。

いかがでしょうか。言葉は違っても、これと同じようなことを思われたのではないでしょうか。ここで、特にそういうことを思われた方に見ていただきたいのが当記事の下の動画です。〈時間を止める三ステップ〉という私のオリジナル・メソッドの一つのやり方について解説された動画です。

その中で解説されているやり方(とても簡単です)を実践してみていただければ必ずや、心でも体でもない第三の何かが自分にはあるんだということが体験的事実としてお分かりになると思います。〈時間を止める三ステップ〉というのは、見方によっては、そういうことが体験的事実として分かるようになるためのメソッドという側面もあるんですね。

ちなみに、この心でも体でもない第三の何かのことを私はサムシング・サードと名付け、真我の別名の一つとしております。

それでは、その動画をご覧ください。

※これを視聴されても、まだよく飲み込めないところがあった方はグローバルメニュー(当ブログタイトルの下にある帯状のやつです)に表示されている“『時間を止める三ステップ』note版”のほうも併せてご覧になることをオススメします。

“時間を止める三ステップ”最短解説編

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