心と真我


L真我が認識するものも色々

真我は、眼においては色や形それ自体を認識する主であり、耳においては音それ自体を認識する主であり、鼻においては臭いそれ自体を認識する主であり、舌においては味それ自体を認識する主であり、それから肌においては感触それ自体を認識する主である。
が、真我の「肩書き」はそれだけにはとどまらない。真我は五感が捉えるモノばかりではなく、心の世界にあるモノをも認識の対象とすることができるのだから。
心の世界にあるモノとは具体的には、思考やイメージや感覚(感じ)や感情などのことだが、真我がそれらを認識の対象としている場合には、思考それ自体を認識する主であったり、イメージそれ自体を認識する主であったり、感覚それ自体を認識する主であったり、それから感情それ自体を認識する主であったりする。
しかしご存知のように、ここ(『心と真我』)では真我は、眼に映る色や形それ自体の認識者としてのみ語られることが多いが、私としてはあくまでも話を煩雑にしないためにそうしているのであって、それだけが真我の全てってことなのではもちろんない。
願わくば、そこで語られていることを元にして、眼以外の五感つまり耳や鼻や舌や肌が捉えた外界の情報や心の世界にある様々なモノを、真我はどのような形で認識しているのか、というところにまで理解を(演繹的に)広げていただきたいものである。
さて悟りの定義は必ずしも一通りではないが、その中でも最も一般的かつ初歩的なのは「悟りとは真我を発見することである」というものだろう。ここまでの話を踏まえて、これをより詳細に言い直したら、次のようになる。
「眼に映る色や形それ自体、耳に響く音それ自体、鼻に来る臭いそれ自体、舌に染みる味それ自体、肌に感じる感触それ自体、さらには心に生じる思考やイメージや感覚や感情それ自体、これらの認識者を発見することが悟りである」
Mに続く
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