心と真我


N何でもいいから有りのままに見よう

もしもあなたが瞑想をなさっておられる方ならば、瞑想中のあなたの心に生じる変化の一部始終を見ている者こそが真我なのだと心得ておかれるとよいだろう。
これから先あなたは、瞑想への取り組み方によっては、他人の追随を許さないほどの高度な心的状態をものにされるかも知れないが、それが真我の発見を意味する悟りに繋がらないのは、真我とは瞑想中のあらゆる心的状態を見る立場の存在であるからに他ならない。
だからもしもあなたが悟りを求めていて、なおかつ今なさっている瞑想の効果も捨てがたく思われているのでしたら折衷案として、瞑想を続けながらその時々の心的状態を有りのままに見ることを試みる、という手も考えられる。そうすれば瞑想中の心的状態との同化もさけられるしまた、真我の顕在化を促すこともできるだろう。
が、この真我の顕在化というものは、瞑想から離れて、例えば路傍の石コロなんかを有りのままに見ることによっても果たすことは可能だ。真我を顕在化させる鍵は対象を有りのままに見ることそれ自体にあるのであって、有りのままに見る対象は何でもよいのだから。
従って例えばの話、常人が容易には到れないような深い瞑想状態にある人よりも、路傍の石コロなんかを有りのままに見ている人の方が、悟りへの近さという一点だけを問題にする限りでは、勝っていることだってあるのだ。
Oに続く
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