心と真我

※本題に入る前にちょっと……。この「心と真我」を続ける上で私がモットーにしているのは、話をなるべくゆっくり前に進める、ということである。話を一気呵成に前に進めるのではなく、小さな理解を一つ一つ確実に積み重ねていただきながら、時には後戻りさえしていただきながら、ゆっくりと最終的な結論に皆様をお導きしたいと考えている。自説を披露することそれ自体が目的なのではなく、自説をしっかりと理解していただくことこそが目的なのだから。話がちょっとずつしか前に進まないように思ってらっしゃる向きには、そのあたりの事情をお汲み取り願いたい。ちなみに、このシリーズは既に終盤に入っております。

(21)呼吸を止めて、色と形を見る

眼に映っているモノの色と形だけを見ることができている時、結果的に我々は、心を脇に置くこともまたできている。逆に、心を脇に置くことができている時、結果的に我々は、眼に映るモノの色と形だけを見ることもまたできている。
眼に映っているモノの色と形だけを見ることと、心を脇に置くこととは表裏一体だ。前者ができれば後者は自然について来るし、後者ができれば前者が自然について来るようになっている。そして、前者と後者が二つそろっているところには必ず、我々の内なる目撃者すなわち真我が顕在化している。
従って、眼に映っているモノの色と形だけを見ることと、心を脇に置くこととは、それぞれ単独でも真我を顕在化させるための方法たり得ないことはない。が、ここでお勧めしたいのは、両方を同時に実践するという方法である。その方が、それぞれを単独で実践するよりも、効率的に成果を得ることができるはずだから。で、そこにある一つのコツを加味すると、効率は更に上がる。
ある一つのコツとは、呼吸を止めることである。呼吸を止めることがなぜ効率を更に上げるのかというと、呼吸を止めることはそのまま、想念を止めること言い換えれば心を脇に置くことに直結しているからに他ならない。呼吸を止めることは、心を脇に置くための有効手段なのである。
従って、前出の「両方を同時に実践する方法」の進化形は「眼に映っているモノの色と形だけを見ることと、呼吸の停止を同時に実践する方法」ってことになる。ただし、この方法にも難点が無いわけではない。呼吸は長い時間止められない、というのが、それだ。が、この一点を無視すれば、眼に映っているモノの色と形だけを見ることと、呼吸の停止を同時に実践することは、真我を超効率的に顕在化させてくれる大変有り難い方法だとも言える。
呼吸を止めることは体に良いことではないのでホドホドにすべきではあるが、健康に差し障りのない範囲でぜひ、この方法を試してみていただきたいものである。そして願わくば、それを通して、我々には肉体でも心でもない、第三の何かがあるという事実を垣間見ていただきたいものである。肉体でも心でもない第三の何かとはもちろん、モノと一体化してモノを見る内なる目撃者すなわち真我に他ならない。
余談ながら、クリシュナムルティーはそれを「意識」というシンプルな言葉で表現していたかと思うが、晩年は「人類に意識が顕在化することはもうないのだろうか」とこぼしていたらしい。人々にとって意識とは、そんなにまで分かりにくいものなのか! というのがその後に続く心の中の言葉みたいな……。
(22)に続く
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