心と真我


(32)現実という夢

こんな空想をされたことはないだろうか。
もしも他人の夢の中に入り込んで、夢の中に居るその人と話をすることができたら……。
仮にそんなことができたとしたら、その人に向かって語りかけてみたい言葉の一つは、「あなたは今夢を見ておられます」というやつ。
仮にその人をAさんだとすると、そのように言われた時のAさんの反応はどんなものだろうか、と思う。最もありがちな反応はやはり、「そんなわけがない」とか「冗談コロコロ」といった否定的なものだろう。それはちょうど、この現実世界の人間をつかまえて「あなたは今夢を見ておられます」てなことを言ったらほとんどの場合、同様の反応が返ってくるようなものだ。
そういう否定的な反応を示す人に、さらに突っ込んだ話すなわち「今あなたが眼にしておられる景色は、寝ながら夢を見ているもう一人のあなたの脳内映像です」みたいな話をしようものなら、相手にされないか反撃されるかのどちらかだろう。
で、反撃してくる人の場合、その言い分はきっと、言葉は違っても一様に次のような内容であるに違いない。
「ここに見えている景色はここに居る私の脳内映像だ。何故ならそれらは、ここに居る私の眼から入ってきて、ここに居る私の脳によって捉えられたものなのだから。ここに居る私とは別の、もう一人の私とやらの脳内映像なんかであるわけがない。」
が、私としては、仮にこのようなことをAさんに言われたとしても、その言い分を全面否定する気にはなれない。Aさんがそのように言う理由もまた、よく分かるからだ。Aさんの側に立って考えてみる限りでは、私の言い分よりも、Aさんの言い分の方が筋が通っているようにも思える。
ヘタをしたら意に反して、「おまんの言うことは筋が通っちょる」とさえ言うかも知れない。そうすると、「さすがに親分さんほどのお方ともなると、話の通りが早い。下っ端じゃあラチがあきません」てな答えが返ってきて、夢特有のわけの分からんストーリー展開に……ならないか。
で、結局のところ、私の言い分とAさんの言い分とどちらが正しいのかって話になると、イーブンと申し上げる他はないだろう。つまり、どちらも正しいと言えるのだ。Aさんの前に広がっている景色は捉える角度によって、夢の中に居るAさんの脳内映像だとも言えるしまた、寝ながらその夢を見ているもう一人のAさんの脳内映像だとも言えるわけだから。こうも表現できる。
Aさんはそこで、「私は今、この眼と脳を使って、眼前に広がる景色を見ている」という夢を見ているのだ、と。
ところで夢と言えば、我々が今こうして生きている現実世界もまた夢である、と申し上げたら怪訝(けげん)に思われるだろうか。我々が今こうして生きている現実世界もまた、寝ている時に見る夢とはまた別の意味における夢なのである。
従って我々にとって、眼前に広がる景色は捉える角度によって、「ここに居る私の脳内映像だ」とも言えるしまた、「真我というもう一人の私の中に存在する景色だ」とも言える。ちょうど先ほどのAさんにとって、眼前に広がる景色は捉える角度によって、夢の中に居るAさんの脳内映像だとも言えるしまた、寝ながら夢を見ているもう一人のAさんの脳内映像だとも言えるのと同じように。
(33)に続く
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