心と真我


(35)五感情報の認識者はやはり肉体を越えている

はじめに、真我に備わっている見る働き(認識する働き)と、心に備わっている感じる働きの違いについて、触れておきたい。というのは最近ひょんなことから、両者の違いがよく分からないという御仁が居ることを知ったからでもある。当サイトの読者の中にもおそらく、同様の方がおられるのではないだろうか。両者の違いを知りたいという方に、まず着目していただきたいのは次の事実である。
「我々は心の感じる働きを停止しても(感じることを止めても)、眼に映るモノの色や形を認識することができる」
より具体的に申せば、我々は心の感じる働きを停止しても眠ってさえいなければ、眼に映っているモノが赤いのか、青いのか、黄色いのか、そして丸いのか四角いのか三角なのか、ちゃんと知り得ている、ということだ。
真我の見る働きと心の感じる働きの違いがイマイチご不明な方でも、少なくともこれだけはお分かりになるであろう。実際に実験してみれば誰でもピンと来るはずのことだから。では、この事実は何を物語っているとお思いだろうか。言うまでもなくそれは、心の感じる働きとは別に、眼に映るモノの色や形それ自体を認識する働きが我々の中にはあるってことに他ならない。またそれは、色や形を心で感じるってことと、色や形それ自体を認識するってこととは別の事柄だってことでもある。だから仮に、我々は心を持たない肉体オンリーの存在になったとしても、眼に映るモノの色や形を認識することは可能なわけである。もちろん、眠ったり気絶してなければ、という条件は付くのだけれども。
細かく調べてみると、眼に映るモノの色や形それ自体を認識する働きが我々の中にあるからこそ、心はそれを受けて色や形を感じることができるのだとも言える。まず先に前者があり、その後に後者が続いているのだ。
ここで押さえておいていただきたいのは、前者、すなわち眼に映るモノの色や形それ自体を認識する働きは真我から来る、という点である。冒頭で取り上げた真我の見る働きは、我々が眼で色や形を見ている時には、色や形それ自体を認識する働きとして現れるわけである。さらに申せばそれは、我々が耳で音を聞いている時には、音それ自体を認識する働きとして現れるし、我々が鼻で臭いを嗅いでいる時には、臭いそれ自体を認識する働きとして現れるしまた、我々が肌で感触を得たり、舌で甘さ辛さを味わっている時には、感触や甘さ辛さそれ自体を認識する働きとなって現れる。そして繰り返しになるが、この五感情報の一つ一つに現れる真我の見る働きは常に、色や形、音、臭い、感触、そして甘さ辛さを感じる心の働きよりも先に、我々の中に生じている。
話は変わるがそうは言うものの、我々の中にある「色や形それ自体、音それ自体、臭いそれ自体、感触それ自体、味それ自体を認識する働き」が真我から来ているってことを、果たして皆さん方の中の幾人が素直に受け入れてくださるだろうか、とも思う。真我の発見を意味する悟りに到る前の方々にとって、そのことをスンナリと受け入れるのは難しいってことが見て取れるからである。前述のような真我の働きが皆さん方の多くにはまだ、単に肉体上の五感の働きでしかないように映っているのではないだろうか。また皆さん方の多くはご自分の実感に照らしてみて、いまだにこんな風に思ってらっしゃるかも知れない。色や形それ自体、音それ自体、臭いそれ自体、感触それ自体、味それ自体を認識する働きは肉体に備わった五感から来ているのであって、真我というような肉体を超えた存在から来ているのではない、と。実感は理屈よりも強いですからね。
前回と前々回の話では、おそらく皆さん方の多くが抱いてらっしゃるであろうそんな思いを緩和するために、私の説の理論的な裏付けをさせていただいた次第であるが、果たしてどれだけの効果があったものやら、といった感じがしないでもない
そういうこともあって今回は締めくくりに、前回および前々回とは違う論法で、「五感情報の全てをそれ自体において認識しているのは肉体を超えた存在である」ということを理論的に裏付けてみたい。といっても、とっかかりとして最初にスポットライトを当てるのは五感情報の全てではなく、その中の一種である(眼に映る)色や形なのだけれども。
五感情報の中の一種である色や形だけに限って申し上げると実は、「認識しているのは肉体を越えた存在である」ということを前回、前々回とはまた違った論法で理論的に裏付けることができるのである。
我々はモノを見る時、単にモノの色や形だけではなく、モノが置かれている三次元空間の広がり(縦、横、高さという三方向への広がり)をも併せて認識している、という事実に着目するところから、この論法は導き出された。我々はモノを見る時、それの色や形と同時に、それが置かれている三次元空間の広がりをも認識している、ということはお分かりですよね。
ちなみに、このように申し上げるともう皆さん方の中には、「悟談」の中で掲載済みのある話を思い出された向きがあるかも知れない。そう、この論法は実は、覚えておられる方は覚えておられるように、「悟談」の中で『真我は垂直の次元に在り』と題して、既にご紹介させていただいたものなのだ。だから詳しいことはそちらに譲り、ここでは簡単に説明するにとどめるが、前述のような事実を踏まえることによっても我々は、眼に映る色や形は本当は肉体を超えた存在によって認識されている、という結論を引き出すことができるのである。何故なら、三次元空間の広がりを認識するためには三次元空間よりも大きな存在でなければならず(見るものは見られるものよりも大きいのが道理だから)、三次元空間よりも大きな存在であるためには肉体を超えていなければならないからである。
これによって少なくとも、眼に映る色や形それ自体を認識しているのは肉体を超えた存在である、ということだけは納得していただけるのではないだろうか。納得していただけたら次は、眼に映る色や形をはじめとする五感情報の全ては共通の認識者によって認識されているという前回、前々回の話を思い出していただきたい。
お察しのようにこれら二つの理解つまり、眼に映る色や形を認識しているのは肉体を超えた存在である、という理解と、五感情報の全ては共通の認識者によって認識されている、という理解を重ね合わせることで我々は、次のような結論を得ることができる。
「五感情報の全てをそれ自体において認識しているのは肉体を超えたある一者である」
(36)に続く
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