心と真我


(48)真我の奇妙さ

未悟のあなた、というよりも、未悟のあなたの真我に向かって語りかけてみたい。
未悟のあなたの真我とは言ってみれば、あなたの中の「自分の存在を度忘れしちゃってる」真我ってことでもあるのだが。
文中では、あなたのことをAと呼ばせていただき、あなたの真我のことをAの真我と呼ばせていただく。
Aの真我よ。
あなたは、Aの五感が捉えたものや心の想いを認識する機能により、Aの眼に今何が映り、Aの耳に今何が聞こえ、Aの心に今どんな想いがあるのかを逐一知っておられるが、にも関わらず、肝心要のそれらを知る主である自分自身の存在にはまるで気付いておられない。
なんとも、おかしな話じゃありませんか。
Aの真我よ。
あなたは、Aが眼にする空や海や星や花などをリアルタイムで認識し、Aが耳にする川のせせらぎや鐘の響きや人の話し声や街のざわめきなどをリアルタイムで認識し、Aの心にある思考やイメージや感覚などをリアルタイムで認識しておられるが、にも関わらず、肝心要のそれらの認識者である自分自身の存在にはまるで気付いておられない。
なんとも、おかしな話じゃありませんか。
Aの真我よ。
あなたが今認識しているものが、Aが今認識しているものだ。
Aが今認識しているものが、あなたが今認識しているものだ。
あなたが今認識していないものは、Aもまた今認識していない。
Aの認識に今無いものは、あなたの認識にも今無い。
それというのもあなたとは、Aにとっての目玉みたいな存在だからである。
Aとあなたの関係をある角度から捉えると、そんな形になっている。
あなたとは、Aの内奥の目玉だ
そのあなたという不可視の目玉のおかげでAは、自分の眼に今何が映っているのかも、自分の耳に何が聞こえているのかも、自分の心に今どんな想いがあるのかも知り得ているという次第だ。
が、ヤッコさんには見えていない。それらを知る働きがどこから来ているのかを。何が、それらを知ることを可能ならしめているのかを。そしてあなたにもまた、それらを知る働きの主である自分自身の存在が見えてないと来ている。あなたに見えてないものがAに見えてるわけがないのだ。
なんとも、おかしな話じゃありませんか。
Aの真我よ。
あなたは自分が見ているものだけを知っていて、見る主である自分自身の存在はまるで眼中に無い。
眼中に無い……あっそうか!よくよく考えてみたら、眼中に無いのは当たり前でしたね。目玉に目玉が映るわけはありませんもの。こりゃまた、失礼いたしました。
Aの真我に語りかけるフリをしながら実は、これをお読みのあなたに語りかけていたこと、しっかりバレてましたかな。
(49)に続く
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