心と真我


(60)私と真我や悟りには接点が無い

(一)

この私は真我と出会うことができない。それは例えば、夢の中の私は寝床に居る私(寝床で夢を見ている私)と出会うことができないのと同じである。
この私は真我を感じることが出来ない。それは例えば、夢の中の私は寝床に居る私を感じることができないのと同じである。
この私は真我と繋がることも一体化することもできない。それは例えば、夢の中の私は寝床に居る私と繋がることも一体化することもできないのと同じである。
この私が真我のことをなんぼ明確に理解できたからといって、真我との距離を埋められるわけではない。それは例えば、夢の中の私が寝床に居る私のことをなんぼ明確に理解できたからといって(どうやってそうするのかは置いといて)、寝床に居る私との距離を埋められるわけではないのと同じである。
この私が存在している場所と真我が存在している場所とは次元が異なる。それは例えば、夢の中の私が置かれている場所と寝床に居る私が置かれている場所とは次元が異なるのと同じである。

(二)

この私は悟りの世界に辿り着くことができない。それは例えば、夢の中の私は夢の外に辿り着くことができないのと同じである。
この私は悟りの状態を感じることができない。それは例えば、夢の中の私は夢の外がどうなっているのかを感じることができないのと同じである。
この私は悟りを体験することができない。それは例えば、夢の中の私は夢の外に広がる世界を体験することができないのと同じである。
この私が「悟りとは何か?」ということをなんぼ明確に理解できたとしても、その分だけ悟りが近くなるというものでもない。それは例えば、夢の中の私が「夢からの覚醒とは何か?」ということをなんぼ明確に理解できたとしても、その分だけ夢からの覚醒が近くなるというものでもないのと同じである。
この私は悟りに直接関与することができない。それは例えば、夢の中の私は夢からの覚醒に直接関与することができないのと同じである。
◆◆◆《ただし説法上の方便しとして、「この私が悟りを体験する」とか、「この私が悟りの世界に辿り着く」といった表現が用いられる可能性はあるので、そこはお含みおきください。》◆◆◆
(61)に続く
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