心と真我


(63)真我と混同されやすいもの

この世界は、肉眼で見える領域すなわち「外的な領域」だけで成り立っているわけではない。この世界にはそれとは別に、肉眼では見えない領域というものもある。ここでは仮に、その領域のことを「内的な領域」と呼び、我々の中に備わっているその領域を見る機能のことを「内的な視力」と呼ぶことにしよう。
当然ながら、「内的な視力」と一口に言っても持ち主によってレベルの違いというものはある。それは例えば、肉眼と一口に言っても持ち主によって物が良く見えるのもあれば、物があまり見えないのもあるのと同じことだ。
「内的な視力」の中で一番上等なものは理屈の上では、「内的な領域」の全てを隅から隅まで見通せるものということになる。理屈上そういうものの存在が想定できるってことは、現実にそういうものを備えた人が居てもおかしくはないってことである。広い世界のことだからきっと、そういうものを備えた人が探せば居るに違いない。
さて、そんな彼らに「ザマーミロ!」と言いたくて申し上げるわけではないが、人には「内的な視力」の中で一番上等のものをもってしても絶対に見ることのできないものが残念ながら一つある。それは真我だ。たとえこの私が、まかり間違って一番上等の「内的な視力」を持ち得たとしても、真我だけは見ることができないのだ。これは例えば、体がどんなに柔らかい奴でもテメーのケツの穴だけは見れないって話とも似ている、いや似ていないか……。では、どうしてそう言えるのだろうか? その答えは次の事実の中にある。
大きな角度から眺めるとこの世界は、「外的な領域」と「内的な領域」の両方を含めて丸ごと一つの夢であり、この私はその夢の中の住人であり、真我はその夢の目撃者すなわちその夢を外から見ている者である。
肉眼によって捉えられる「外的な領域」に真我を見い出せないことは悟りへの途上にある者なら誰でも知っているが、「内的な視力」によって捉えられる「内的な領域」にさえも真我は見い出せないってことまで知っているのは、彼らの中でも僅少だろう。「内的な視力」によって捉えられる「内的な領域」にさえも真我を見い出せないのは、「外的な領域」と同じく「内的な領域」というものもまたこの世界という夢の一部であり、真我によって目撃される側の存在であるからに他ならない。これは分かりやすく申せば、「眼に映ったものの中に眼それ自体が含まれているわけはない」というのと同じ理屈である。
この私が仮に、この世界の外的領域・内的領域を隅々まで調べ尽くしたとしても真我を見い出せるわけがないのは例えば、夢の中の私が仮に夢の中に広がる世界を隅々まで調べ尽くしたとしても寝床で夢を見ている主を見い出せるわけがないようなものだとも言える。見られる側の中にどうして、見る側に在るものを見い出せるというのだろう。そんな馬鹿な話は無い!
従ってもしもあなたが、何らかの形で真我という目撃者の存在を認識できたとしたら、それはあなたの勘違いというものでありまた、「そんなものはどこにも見当たらないから存在しない」と決め付けるのも、これまたあなたの勘違いに過ぎない。 
ところで巷に出回っている瞑想法の多くはご存じのように、我々の中に眠っている「内的な視力」を目覚めさせ、我々に「内的な領域」を見れるようにさせることを目的としている。あくまでも仮定の話だが、それらを通してあなたは例えば、自分を超えた大いなる存在を体感するかも知れない。また例えば、万物の根底にあり集合的無意識とも呼ばれることのある「一つの生命」に気付いたり、それに帰ったりするかも知れない。また例えば万物との一体感を得るかも知れない。また例えば、宇宙一杯に広がるかも知れない。
敢えて憎まれ口をきかせていただくならば、こうした体験は、多くの人が悟る前から意識的にか無意識的にか持っているありきたりな悟りのイメージと合致しやすいために悟りと誤認されやすいが、本当はこういうのを悟りとは言わない。前にも述べたことではあるが、こうした体験には真我という目撃者が居り、その真我という目撃者が自分自身を目撃するという、悟る前の段階では誰かに教えてもらわない限り絶対に思いつくことのできない出来事を悟りというのである。
ここで指摘したいのは、もし仮に前述のような体験に真我という目撃者が居なかったら、我々はそれらを認識できない、という事実である。体験と名の付くものは、ただそこにありさえすれば我々の認識に上るというものでもないのだ。真我という目撃者が居るからこそそれらは我々の認識に上るようになっている。ちなみに、真我という目撃者が居てはじめて我々の認識に上るという点では、我々の肉眼に映る色や形も同じである。だから、「真我とは何か?」という問いに対してはその時々の状況によって、「あなたの瞑想中の体験を見ている主のことだ」という答えもあり得るしまた、「あなたの眼に今映っているモノを見ている主のことだ」という答えもあり得る。禅僧などは比較的後者を好むようだが、今は瞑想中の体験と真我の発見(=悟り)を混同してはならないという話をしているところなので、ここで私が皆さんに強調しておきたいのは前者の方である。
我々の肉眼や「内的な視力」が捉えたものを真我という目撃者が見ている、という話がイマイチピンと来ないという向きは、次のように捉え直してみられては如何であろう。真我という目撃者の巨大な視野の中で、我々は肉眼や「内的な視力」を使って色々なものを見るという体験をしているのだ、と。
……何々、余計に訳が分からなくなったですって? こりゃ参りましたな。それでは取りあえず今は、肉眼や「内的な視力」によって捉えられたもの=見られるもの、真我=見るもの、という簡単な図式だけ覚えておいていただければ良しとしましょう。
話は変わるが以上のようなわけで、我々にとって「私を超えた大いなる存在」と呼び得るものは二種類あると言えなくもない。その中の一つは、瞑想などをして「内的な視力」を開くことによって見い出すことのできるソレ、言い換えるならば「内的な領域」にあるソレである。これは前述のように、集合的無意識と呼ばれることもあればニューサイエンスの分野では暗在系と呼ばれることもあるが、人によっては波動とか万物の根底にある生命などと言うかも知れない。
もう一つは、私が真我と呼んでいるものに他ならないが、この真我という名の「私を超えた大いなる存在」と、前述のような意味での「私を超えた大いなる存在」との最も顕著な違いは、前者がこの世界(この三次元空間)の外に存在するのに対して後者はこの世界(この三次元空間)の中に存在するという点にある。後者を私の言う真我と区別するために仮に大我と呼ぶことにして今の話をまとめさせていただくならば、真我も大我も「私を超えた大いなる存在」であることには違いはないが、真我の在り処がこの世界の外であるのに対して大我の在り処はこの世界の中であるということだ。この点だけでも、両者は全く異質なものだと言えるが、大我が見られる側の存在であるのに対して真我は見る側の存在であるという点もまた、両者の質的な違いを決定的なものにしている。。
このように真我(ここに言う真我)と大我(ここに言う大我)とでは、「私を超えた大いなる存在」という小さな共通点があるだけで、その実体は全く異質なものなのだ。小さな共通点があるだけで、その実体は全く異なるものと言えば、喩えとしては突拍子もないかも知れないが、我々日本人から見た宇宙人と外国人だってそうだ。何故なら、我々日本人からすると彼らは「日本人ではない」という一点では共通しているが、その実体は全く違っているから。要するに私としては、我々から見た宇宙人と外国人ぐらいに、真我と大我は違うものなんだってことを申し上げたいわけである。いや、よく考えたら真我と大我の違いは彼らの違いどころではないな……。
いずれにしても以上の事実にも関わらず、悟る前の方々には私の言う真我と大我は混同されやすい。いや、というよりもむしろ、悟る前の方々にとって「私を超えた大いなる存在」と呼べるのは大我しかない、という方が当たっている。
つまり、彼らは知らないのだ。真我の存在を。大我とは別に真我というものが存在することを。我々にとって「私を超えた大いなる存在」と呼べるものは大我と真我の二種類あることを。「私を超えた大いなる存在」と呼べるものが、この世界の中と外のどちらにもあることを。
そして彼らは誤解する。悟りとは、この世界の中にある方の「私を超えた大いなる存在」すなわち大我を発見したり感じたり、それと繋がったり一体化したりすることなのだろう、と。彼らにとって「私を超えた大いなる存在」ときたら大我以外には無いのだから、そうなってしまうのも自然な成り行きだとは言える。が、そうした誤解は悟りへの途上においては大きな障害となる。
念のためにお断りしておくが、私は何も大我を発見したり感じたり、大我と繋がったり一体化したりすることなどがいけないことだと申し上げているのではない。単にそういった体験は悟りではないと申し上げているだけである。悟りであるものが良くて、悟りでないものは良くないといった価値基準は私の中には全く無い。が、悟りと悟りじゃないものの違いはハッキリさせたいという気持ちはある。私がこういうものを書くのは主として、そのためである。
話を戻すが悟りとは、この私が「内的な視力」を開いて、この世界の中にある「私を超えた大いなる存在」すなわち大我を発見したり感じたり、それと繋がったり一体化したりすることなのではなく、この世界の外にある「私を超えた大いなる存在」すなわち真我が、この私とは全く無関係に、この私の頭越しに、この私の「内的な視力」も及ばぬところで、自分自身を目撃するという出来事を指すのだ。
(64)に続く
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