心と真我


(64)悟りの中ではこの私は居なくなる

悟るのはこの私ではなく真我自身である、ということのニュアンスがイマイチ飲み込めない方は、取りあえずその話は横に置き、「睡眠中の夢から覚醒するのは誰か?」ということについて考えてみられたらよい。そうすれば、悟るのはこの私ではなく真我自身である、ということのニュアンスが見えてくるはずだから。と言ってもこれには、次のような悟りの真相を踏まえた上で、という但し書きが付くのだけれども。
「我々が今居る現実世界もまた夢であり、悟りとはその現実世界という夢からの覚醒のことでもある」
睡眠中の夢から覚醒するのは夢の中の私ではなく寝床に居る私自身であることは、考えれば直ぐにお分かりになるであろう。そのことと前述の悟りの真相を照らし合わせてみれば、私が申し上げていることの意味がお分かりになるに違いない。
要するに、こういうことである。睡眠中の夢から覚醒するのは夢の中の私ではなく寝床に居る私自身であるのと同じように、現実世界という夢から覚醒するのは、すなわち悟るのはこの私ではなく真我自身である。
ちなみに、真我自身が悟る、ということの具体的な中身に触れておくならばそれは、真我が自分自身の存在に気付くということである。その出来事は、睡眠中の夢からの覚醒において寝床に居る私が「なんや、俺はここにおったんかい!」みたいな感じで、自分自身の存在に気付くことと共通するものがある。睡眠中の夢からの覚醒において寝床に居る私が自分自身の存在に気付くことと、悟りにおいて真我が自分自身の存在に気付くこととは、どこか似ている。
もっと言うと、似たところがあるのはそればかりではない。今取り上げたそれぞれの出来事に付随して起こる出来事の間にもまた、似たところがあるのだ。すなわち、寝床に居る私が自分自身の存在に気付くと同時に夢の中の私は居なくなる、という出来事と、真我が自分自身の存在に気付くと同時にこの私は居なくなる、という出来事もまた似ていると言えば似ている。
睡眠中の夢からの覚醒は寝床に居る私が自分自身の存在に気付くことを意味する一方、夢の中の私が居なくなることをも意味するがちょうどそれと同じように、悟りは真我が自分自身の存在に気付くことを意味する一方、この私が居なくなることをも意味するという次第だ。
ご承知のように、悟りとは真我による真我自身の発見であるというのがかねてからの私の主張だがそういうわけで、これをより正確に言い直すとこうなる。悟りとは、真我による真我自身の発見とこの私の消滅とが同時に起こることである。
であるからして……
この私が真我を感じたり見い出したりすることなどをもって悟りとするのは誤解であり、この私が真我と繋がったり一体化することなどをもって悟りとするのも誤解であり、この私が真我に目覚めたり立脚したりすることなどをもって悟りとするのもまた誤解である。
悟りの中では、そんなことをする私は居ない。仮に居たとしても、この私と真我とは存在している次元が違うのだから、そういうことができる道理もない。両者の関係を、夢の中の私と寝床に居る私の関係になぞらえてみれば、そのことは誰でもお分かりになるはずだ。
ちなみに、ここに言う「この私」とは顕在意識と潜在意識の両方から成る私のことであって、顕在意識の私だけを指しているわけではないので、お間違えなく。
(65)に続く
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