『覚醒の便法』ティーカッププログ版


@悟りへの道は一念不起がすべて

 
多くの求道者によって真我と呼ばれているもの、すなわち我々にとっての本当の自分とは心でも体でもありません。それが真我の顕在化を意味する悟りにおいて明らかになることの一つです。
誤解なきよう申し添えておきますがここに言う心とは、思考の出所である顕在意識のみを指しておりません。顕在意識のみを指して心と言う場合もありますがここでは、その下にあるとされている潜在意識及び、更にその下にあるとされている無意識までも含めて心と申し上げております。体はもとより、その心にさえも属さないのが真我なのです。

心の最奥の層すなわち無意識、より正確に申せばその中でも特に集合的無意識と呼ばれている層を真我とする見解がいわゆる「精神世界」と称される分野では主流をなしているかに見受けられますが、それが前述の私の見解と相容れないものであることはもちろんです。
それにしても、我々は体の他には心しか無いというのが常識のようになっているこの世界において、真我という名の心でも体でもないものの存在を主張する私の見解は異端なんだろうなとは思います。

さて、その真我を顕在化させる道、とどのつまりは悟りへの道はたった一つしかありません。心(前述のような意味での心)を脇に置く、というのがそれです。心を脇に置くこと、それは禅的に表現すれば一念不起ということになるでしょう。この一念不起こそが、悟りへの唯一の道なのです。
ただし、一念不起の状態になるための方法それ自体は幾種類もありますので、そこのところは区別をお願いします。ちなみに、よく知られている今ここに在るという「方法」もそのお仲間ですね。

一念不起の状態になるための方法と言えば実は、私が独自に開発した短時間で効果的に一念不起の状態になるための方法があります。ご存じの方はご存じでしょうが、私のHP「サトシャブ」の『心と真我(23)』においてもそのことにはチラリと触れたことがあります。その具体的な中身に関しては何も申し上げませんでしたけれども。
その時お約束した、「具体的な中身」の公開は、この先、当ブログの中でさせていただくつもりです。

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