『覚醒の便法』ティーカップブログ版


A悟りは私に何ももたらさない

非常に大雑把な、たくさんの補足を必要とする言い方であることをお断りした上で申し上げますが、悟りとは真我の発見のことでもあります。そしてこの真我の発見のことでもある悟りなるものは、この私の心においても体においても起りません。裏を返せば、この私の心でも体でもないところで、あるいはこの私の心身の外側で、それは起ります。
ここに言う心とは、思考の出所である顕在意識はもとより、その下にあるとされる感性(感じる働き)の出所である潜在意識までも含んでおります。念のためにもっと言いますと、潜在意識の一番奥深いところにあるとされる万物(万人)共通の潜在意識というものまで、ここに言う心の中には含まれております。話の流れからすれば誰でも察しのつくことを、敢えてこのように申し上げますのは、くだんの万物(万人)共通の潜在意識を真我と誤認しておられる方が世の求道者の中にあまりにも多すぎるからです。

さて悟りとは真我の発見のことでもあることは前述の通りですが、だからといって、その悟りという出来事が起ってもこの私は、真我を実感することはできません。真我を体感することも、内的な映像として見ることもできません。「これだ」という感覚や手ごたえを得ることもまたできません。では悟りはこの私に何をもたらすのか、とおっしゃるならば何ももたらさない、とお答えするしかありません。何故なら心と体から成るこの私の外側で悟りは起るからです。心と体から成るこの私の外側で起る悟りにおいて、そういった諸々のことをこの私が体験できるわけないのは、当然というものでしょう。

『最短距離で悟りの世界を垣間見る方法』(今後この呼び名を変更するかも知れません)という私が開発したメソッドを以前からの予告どおり、これから当ブログの中でご紹介して行くつもりではありますが、以上の点だけは前以てご了承願います。以上の点を前以て了承してくださる方だけ、これからご紹介する予定の前述のメソッドに取り組んでいただきたいとも思います。そうでなかったら後になって、「取り組んではみたけれど、自分が期待していたようなコレといった手ごたえ、あるいは実感を得られなかった。」てなことにもなりかねません。

最後に、ここまでの話だけでは皆さんつまらないでしょうから、本当はよくないことかも知れないのですが、前述のメソッドを正しく実践できた時に起ることの一つを述べておきます。それを正しく実践できた時に起ることの一つは心理的な時間の停止です。心理的な時間が自分の中から無くなること、と言い換えた方がよいかも知れません。ただし、もう一度申し上げておきますが、それが起るのはあくまでも正しい実践がなされた場合に限られます。

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