真我における不可分の関係


〈前説〉宇宙との一体感? それを言うなら宇宙からの離脱だろ! 悟りって

悟りには一切のものからの離脱という側面がある。
一切のものとは文字通り一切のものなのでその中には、自分の心身も含まれていれば、それを取り囲んでいる世界、ひいてはこの宇宙までも含まれている。
悟ると、自分の心からも体からも、それを取り囲んでいる世界からも宇宙からも離脱してしまう即ち、それらの外に出てしまうのである。
これが悟りの一大特徴だが、もしも悟りからこの万物からの離脱という側面を取り除いたら、まるで気の抜けたビールみたいに退屈でつまらないものになってしまう、というのが私の感想である。こういう側面があるからこそ悟りは、独特のギラリとした光を放ち得ているのだ、とも言える。
が、それはそれとして、悟りの最も面白いところは実は、万物からの離脱という側面に逆行するがごときもう一つの側面をも併せ持っている点にこそあるのだ。
そういう話を、これからしよう。

@不可分の関係の一例

円柱(断面が丸い柱)と平らな地面を思い浮かべてもらいたい。
敢えて当たり前のことを言わせていただくが、円柱を地面に対して垂直にするためには、その底は必ず地面に密着させなければならない。例えば、円柱の底と地面の間に小石を挟んだりなんかして、両者の間に隙間をつくると、円柱は決して地面に対して垂直にはなりませんからね。
これは裏を返せば、「円柱の底が地面と密着している時は必ず、円柱は地面に対して垂直になっている」ということでもある。
逆に、こんなことも言える。円柱の底を地面に密着させるためには、円柱は必ず地面に対して垂直にしなければならない。例えば、円柱の曲面の部分を手で押したりなんかして、円柱を傾けると、底の部分は決して地面と密着しませんからね。
これは裏を返せば、「円柱が地面に対して垂直になっている時は必ず、その底は地面と密着している」ということでもある。
このようなわけで、円柱が地面に対して垂直であるってことと、その底が地面に密着しているってこととは不可分の関係つまり切っても切り離せない関係にある、ということができる。
不可分の関係なんて言葉が学術用語にあるのかどうかは知らないが、モノとモノの間ばかりではなく、事柄と事柄の間においてもそんな関係があり得るということが、以上の話からもお分かりいただけるに違いない。
余談だが、モノとモノの間における不可分の関係の具体例を挙げろ、と言われたら私の場合、とっさに思い浮かぶのはケツの右の部分と左の部分である。その理由は、両者は常にワンセットであるという点に尽きる。ケツの左右はこの世におけるワンセットの王様だ!
だが視点を変えて冷徹な眼で眺めてみると、両者は不可分の関係ではない、という別の見方もできることが分かる。両者がワンセットであることは事実だとしても、あくまでもそれは概念上の事実であって、物理的な意味においては両者を分離することは可能だからである。そのことは例えば、両者の間に短いつっかい棒などを挟んでみれば一目瞭然であろう(それが面倒なら、ちょっくらしゃがんでみるだけでもよい)。
このように、ある二つのモノが不可分の関係にあるか否かは視点次第のところもあるのだ。なんちゃって。

A真我にもある不可分の関係

冒頭の話から見えてくるもう一つのことは、不可分の関係にある事柄と事柄の間には必ずしも、例えばケツの左右間に見られるような類似性があるわけではない、ということである。
考えてもみられよ。円柱が地面に対して垂直であるってことと、その底が地面に密着しているってこととの間に、一体どんな類似性があるというのだろう。例えば、円柱の底が地面に密着しているってことと、円柱のてっぺんが地面に対して平行になっているってこともまた、もう一つの不可分の関係であることはお分かりいただけると思うが、これら二つの事柄の間に見られるような類似性が、そこにはない。もっと言うと、類似性が無いどころか、逆行し合っているところさえ見受けられる。
このことを十分に理解するには、円柱が地面に対して垂直であること及び、その底が地面に密着していることのそれぞれを、象徴的に捉えてみるのが一番である。
円柱が地面に対して垂直であるってことを象徴的に捉えると、円柱が地面から離脱しているってことである。一方、円柱の底が地面に密着しているってことを象徴的に捉えると、円柱(の底)が地面と一体化しているってことである。従ってそこにおいては、あくまでも象徴的な表現だが、円柱は地面と一体化していると同時に地面から離脱してもいる、と言えるわけだ。
対象と一体化することと対象から離脱すること、この二つほど逆行し合っているものが、世の中にあるだろうか。どちらか一方がある時は、もう一方は無い、というのが世の常識というものだが、ここではその両方が同時に成り立っているのである。
さて、私がこんな話を持ち出したのは実は、我々の真我と(我々の眼に映る)現実との間にも、この種の不可分の関係つまり、円柱と地面の間に見られるのと同種の不可分の関係があるからに他ならない。早い話が我々の真我は、現実と一体化していると同時に現実から離脱してもいる(現実の外に出てもいる)、ということである。
前述の話だけでその消息を十分に飲み込んでいただくのは難しいかと思うが、『真我は垂直の次元に在り』を参照すれば、理解の一助となるに違いない。
Bに続く
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