真我は垂直の次元に在り〈後編〉


E真我という名の目玉は自分自身を視野に入れることができない

真我を何かになぞらえようとする時まず明確にしなければならないのは、真我のどこに着目するのか、ということである。真我のどこに着目するかによって、真我をなぞらえるにふさわしいものは違ってくるわけだから。
既にご承知のように真我には、モノに成りきる働きとモノを見る働きという二つのものが融合した形で備わっているのだが私の考えでは、前者に着目すると、真我をなぞらえるにふさわしいのは鏡であり、後者に着目すると、真我をなぞらえるにふさわしいのは目玉である。が、ここでは、前者のことは横に置き後者に関係のある話をしたいので、真我をなぞらえるなら鏡よりは目玉の方が都合がよい。
さて目玉と言えば、「ゲゲゲの鬼太郎」という漫画に出てくる目玉オヤジなるキャラクターを連想される向きもあるだろう。目玉オヤジをご存じない方は、頭部全体が一個の目玉になっている人物を思い浮かべてみられたい。頭部全体が一個の目玉になっている、というのが彼の最も重要な外見上の特徴である。従って妙なことを申し上げるようだが、彼の首から下をもぎとると、真我をなぞらえるのにピッタリのキャラクターに変わる。真我とは正に、首から下の無い目玉オヤジみたいなものだ。
首から下がついたままの目玉オヤジでは真我をなぞらえるにイマイチ不足なのは、首から下がついたままの目玉オヤジは自分の体の大部分を視野に入れることができるからである。そこが真我から大いにかけ離れている。要するに真我は、首から下の有る目玉オヤジとは違って、自分の「体」の一部さえも視野に入れることができないってことである。自分の「体」の一部さえも視野に入れることができない、というのはここでは、自分自身を全く視野に入れることができない、という意味に取ってもらいたい。
真我は首から下の無い目玉オヤジ即ち目玉だけの生き物と同じで、自分以外のものなら何でも視野に入れることができるのに、自分自身だけは絶対に視野に入れることができないようになっている。一度でもそんなことができたら、オイラいつ死んだって構わねえ……てなことを思ってるかどうかは知りませんがね。いやいや、真我には心が無いので、というか心を見る側の存在なので、そんな風に思うこともできないのだった。
真我は自分自身を視野に入れることができない、ということは逆に言えば、真我の視野に入るモノの全て、とどのつまりは我々に認識されるモノの全ては真我以外の何かだってことに他ならない。我々に認識されるモノが物的な世界に属するモノであろうと、心的な世界に属するモノであろうと、その点に変わりはない。従って物的な世界はもとより、心的な世界においてもまた、真我を見出そうとする我々の試みは一つ残らず空を切るばかりだ。
さて、目玉だけの生き物なんてものが実際に居るわけないのはご承知の通りだが、そういうものが居ると仮定して話を続けよう。便宜上、そいつの名前は目玉チャンということにでもしておきますか。
話がメルヘンぽくなってしまうが、ここで皆さんに想像していただきたいのは、その目玉チャンが自分の目玉を探し求めて旅をしている図である。目玉チャンには手足が無いのにどうして旅なんかできるんだ、ですって。目玉チャンには空中を飛ぶ能力があるからなのですよ(私がそう決めたのだ)。
目玉以外の何者でもない目玉チャンが自分の目玉を探し求めて旅をしている図ほど第三者から見て滑稽なものはないが、目玉チャンの側からすると自分自身の姿は見えてないわけだから、そんなことには気づきようもない。
目玉チャンは目玉そのものであるが故にかえって、自分の探し求めているものは今ここに在るってことが分からないのである。分かった日にゃあ、ひっくりけえるよきっと。
それではお尋ねしますが、もしもあなたが目玉チャンの旅の目的を知っていて、どこかで目玉チャンを見かけたとしたら、あなたは一体どうなさいますかね。あなたに一片の親切心でもおありならおそらく、ニギリメシの一つも差し出しながら(これは親切というよりも嫌がらせだな)、こう忠告なさるのではありませんか。
「あなたはどこにも出かける必要がない。何故なら、今ここに居るあなたこそが正にあなたの探し求めているものに他ならないからだ!」
ここまで読んでこられた方ならもう、気づいておられるに違いない。この言葉はそっくりそのまま、真我を探し求めて精神世界の旅をしておられる世の求道者全員に向けられるべき言葉でもあることに。
早い話が、目玉チャンが自分自身を視野に入れることができないのと同じように、我々の内なる目撃者即ち真我は自分自身を視野に入れることができない、ということだがこれは言い換えれば、真我は三次元空間の枠内には見出され得ない、ということなのでもある。真我の視野に入るのは全部、三次元空間の枠内に在るものばかりなのだから。が、我々にとって探し求めるという行為はその対象に関わらず常に、三次元空間の枠内での動きを意味しているので、こと真我に対しては何の役にも立たないわけである。
Fに続く
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