雑談の続き(動中の工夫について更に考える)


その六

真我には前回、前々回で申し上げたような五つの側面がありますが、真我が体の動きの中で体現されている時に限って申せば、その五つの側面は次のような、より具体的な言い方で表現することができます。
@体の動きを有りのままに見ているという側面。
A体の動きと一体化しているという側面。
B体の動きから「垂直方向」に離れているという側面。もしくは体の動きの「外側」に在るという側面。
C体は動いているにも関らず動くことがないという側面。
D過去と未来(来し方行く末)のある体の動きとは対照的に過去も未来も無いという側面。
既にご承知のように、これら@からDまでは不可分の関係にあります。言い換えますと、これら@からDまでは一つの事柄の五つの側面として捉えることができます。体の動きの中で体現されている時の真我を色々な角度から眺めると、これら五つの側面が見て取れる、という風にも言えるでしょう。従って、体の動きの中で体現されている時の、真我の何たるかを一括りに描写したら次のようになります。
“ソレは、体の動きを有りのままに見ている存在でもあり、体の動きと一体化している存在でもあり、体の動きから「垂直方向」に離れている存在でもあり、体は動いているにも関らず動くことのない存在でもあり、過去と未来のある体の動きとは対照的に過去も未来も無い存在でもある”
体の動きの中で体現されている時の真我は、具体的にはこのように描写することができます。が、これでは長過ぎて皆さんには分かりづらいかも知れません。いや、分かりづらいはずです。前述の@からDまでを律儀に全部踏まえたのでこんなに長い描写になってしまったわけですが、これをもう少しスッキリさせるために、敢えてCとDは度外視して描写し直してみましょう。
“ソレ(体の動きの中で体現されている時の真我)は、体の動きを有りのままに見ている存在でもあり、体の動きと一体化している存在でもあり、体の動きから「垂直方向」に離れている存在でもある。”
これで、さっきよりはスッキリした描写になりました。この描写は表面的には前述の@とAとBだけを踏まえた形になってはおりますが、@ABCDの全ては不可分の関係にあることを考えますと、潜在的あるいは間接的にはCとDもその中に網羅されていると言えます。従って突き詰めて申せば、以上の描写を覚えておくだけでも、自分が体の動きの中で真我を体現できているか否かを判断する材料にすることは可能です。 
ついでだから、もっと突き詰めたことを申し添えておきましょうか。もっと突き詰めて申せば、自分が体の動きの中で真我を体現できているか否かを判断するには、ギリギリ次のことを覚えておくだけでも本当は十分だと言えます。
“ソレ(体の動きの中で体現されている時の真我)は、体の動きを有りのままに見ている存在でもあり、体の動きと一体化している存在でもある”
お分かりのようにこの描写は前述の@とAだけを踏まえたものに過ぎませんが、本当はこれだけでも、自分が体の動きの中で真我を体現できているか否かを判断するための材料たり得るのです。それはもちろん、@ABCDの全てが不可分の関係にあるからに他なりません。
(続く)
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