『マインド自動浄化法』


I大事なのは真我でその感情を見ること

『マインド自動浄化法』すなわち「ネガティブな感情を遠ざけない。しかしてそれを感じない。」という方法の存在目的は言うまでもなく、ネガティブな感情を減少・消滅させることにあります。が、我々がこの方法の実践を通して直接的にやれることというのは、真我でネガティブな感情を見ている状態になるところまでです。それ以上のことは何もできません。それ以上の何ができるというのでしよう。しかしそれで良いのです。何故なら我々が、この方法の実践を通して真我でネガティブな感情を見ている状態になることができさえしたら、その結果として自動的にネガテイブな感情は減少・消滅へと向かうようになっているからです。
ということで、『マインド自動浄化法』をネガテイブな感情を減少・消滅させるためのツールにしたいと思っておられる皆さんは、この方法の実践に当たってはもっぱら、真我でネガティブな感情を見ている状態になることを目指してください。既にご存じのように、真我でネガティブな感情を見ている状態というのは言い換えれば、感じることを伴わずにネガテイブな感情の存在を覚って(しって)いる状態に他なりません。「感じることを伴わずにネガテイブな感情の存在を覚って(しって)いる状態」イコール「真我でネガティブな感情を見ている状態」です。
前出の二つの状態がイコールであることを体験的事実として頷くには悟りに俟つ(まつ)しかありませんが、悟っておろうとおるまいと、そんなことには関係なく、感じることを伴わずにネガテイブな感情の存在を覚って(しって)いる状態にある方が、真我という名の眼でネガテイブな感情を見ている状態にあることだけは間違いありません。悟りへの途上にある方にはピンと来ないかも知れませんが、これは事実なのです。自分にはピンと来ないからといって、今申し上げたことを疑ってはいけません。そのことを例え話を使って説明いたしましょう。
ここに、催眠術にかられて自分の肉眼の存在を忘却させられている男がいると思ってください。彼は催眠術によって、肉眼でモノを見る能力までは奪われておりませんが、モノを見るための道具としての肉眼の存在は忘却させられています。もっと言うと、モノを見るためには肉眼が必要であるという事実さえも忘却させられています。そういう男がここに居ると思ってください。もうお察しでしょうがこの男は、真我という名の眼の存在を忘却している人、とどのつまりは悟る前の人の象徴に他なりません。
仮にそんな男が居たとした場合、彼はモノを見ることはできても、モノを見ることを可能にしている肉眼の存在を知りません。そして、自分は今肉眼を使ってモノを見ているのだという自覚を持つことができません。彼は、そういう自覚が無いままにモノを見ます。が、そんな彼でも、モノを見ている時というものは常に肉眼を使っていることだけは間違いありません。彼に「肉眼を使ってモノを見ている」という自覚が有ろうと無かろうと、モノを見る時は肉眼を使っているという事実に変わりはないわけです。
ちょうどそれと同じように我々は、真我という名の眼の存在を体験的事実として分かっておろうとおるまいと、すなわち悟っておろうとおるまいと、感じることを伴わずにネガティブな感情の存在を覚っている時というものは常に、真我という名の眼を使っている、すなわち、真我という名の眼でそれを見ていることになります。
(※Jに続く)
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