『マインド自動浄化法』


O実践回数や実践時間など

『マインド自動浄化法』の効果はこれまで申し上げてきた通りですが、それを実感できるようになるまでに必要とされる『マインド自動浄化法』の実践回数や時間のことに触れておきます。まず申し上げたいのは、効果を実感できるようになるまでに必要とされる『マインド自動浄化法』の実践回数や時間というものは一定しているわけではないということです。それらは一定しておりません。何故ならそれらは、『マインド自動浄化法』を実践する際に相対するネガティブな感情の大きさや強さの度合いによって違ってくるからです。当然のことながら、『マインド自動浄化法』を実践する際に相対するネガテイブな感情が、大きいもの強いものであればあるほどそれらの数値は上がりますし逆に、小さいもの弱いものであればあるほどそれらの数値は下がります。
ここで競馬の話を持ち出すのは唐突かも知れませんが、人が心に抱くネガテイブな感情の中で私にも覚えのある具体的なものの一つは、競馬で金をすった時の悔しさです(そう言えば競馬しなくなってから大分経つなあ)。話を分かりやすくするためにそれに絡めて説明いたしますと、『マインド自動浄化法』を実践する際に相対するのが「競馬で一万円すった時の悔しさ」である場合よりも「競馬で百万円すった時の悔しさ」である場合の方が前述の数値は上がらさるを得ません。理屈の上では百倍上がることになりますね。まあ理屈通りにはならないでしょうけれども、後者の方が前者より大きくて強い分だけ、消滅に到らせるまでにかかる手間と暇、すなわち『マインド自動浄化法』の実践回数や時間が跳ね上がることだけは確かです。
それと同じことが、「競馬で金をすった時の悔しさ」以外のネガティブな感情にも当てはまるのは言うまでもありません。すなわち悔しさであれ、怒りであれ、哀しみであれ、緊張であれ、不安であれ、恐れであれ、焦燥感であれ、寂しさであれ、恨みであれ、つらみであれ、ハラハラであれ、ブルブルであれ、イライラであれ、あれであれ、これであれ、ネガティブな感情に分類されるものは何であれ、大きければ大きいほど、また強ければ強いほど、消滅に到らせるまでにかかる『マインド自動浄化法』の実践回数や時間は多くならざるを得ません。
従って『マインド自動浄化法』にネガティブな感情を減少・消滅させる効果があること自体に間違いはありませんけれども、その効果が常に実践者の期待通りの早さで現れてくれるとは限らないわけです。もしもその効果が、自分の期待通りの早さで現れてくれなかった場合は、効果に疑問を持つのではなく、今自分が抱えているネガティブな感情の大きさ、あるいは強さに思いを馳せていただきたいものです。表面的にはそんなに大きくも強くもなさそうに見えても、根っこのところでは案外大きくて強いのだってあるかも知れません。
このように、大きくて強いネガティブな感情であればあるほど消滅に到らせるまでにはそれなりの手間と暇がかかるわけですが、それを乗り越えることで手に入るオマケというものもあります。どういうことかと申しますと、そのネガテイブな感情と種類が同じでなおかつ大きさや強さが「それ」以下のネガテイブな感情は以後心に生じなくなる、もしくは生じにくくなる、ということです。そういう意味では励みになると思います。
そう言えば我々が心に抱く感情の中には、一見ネガティブな感情のように見えるが、よくよく考えてみると本当にそうなのかどうか一概に言えないようなものもあります。例えば義憤というものもそうでしょう。義憤が怒りの一種である点に着目する限りでは、一応それはネガティブな感情に分類できなくもありません。が、それは怒りは怒りでも私憤と違って自己中心性から発したものではないことを考えますと、本当にネガティブな感情に分類してよいのかどうか疑わしくなります。ネガティブな感情に分類できなくなるかも知れません。ただし一口に義憤と言いましても、その中には、いくらかの私憤や公平さに欠ける怒りが不純物として混じっているものもあり得ます。というより現実の世界においては、そういうことの方が多いのではないでしょうか。少なくともその手の義憤に対してならば、『マインド自動浄化法』を実践することで良い変化をもたらすことは可能です。その中に混在している「不純物」を減少・消滅させるという形で。
ネガティブな感情の中には、原因を明確に特定できないものもあります。例えば将来に対して何となく感じる不安とか、いわゆる「群集の中での孤独」といったものがそれです。この手のネガティブな感情に対してももちろん『マインド自動浄化法』を用いることはできます。こういうのに限って、消滅に到らせるのに手間暇がかかる傾向はあるかも知れませんけれども。
(※Pに続く)
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