『マインド自動浄化法』


Pこれも三昧?

前に申し上げたことをぶり返すようですが、「真我でデネガティブな感情を見ている状態」とどのつまりは「感じることを伴わずにネガティブな感情の存在を覚って(しって)いる状態」がどういうものなのか、今いちピンと来てない方が皆さんの中にはまだおられるかも知れません。私がこういう心配をいたしますのはインターネットや本を通して得た情報などから、ほとんど全ての方々にとって、あるものの存在を覚るってこととそれを感じるってこととはワンセットになっていて切り離せないもののように見受けられるからです。そう言えば以前、当サイトの一読者から、「感じるってこと」と「感じることを伴わずに覚る」ってことの違いを説明してもらいたいといった意味のことを言われたこともありましたっけ。
そういう経緯を踏まえて、ここでもまたしつこく、「感じることを伴わずにネガティブな感情の存在を覚っている状態」の何たるかを説明させていただこうと思います。その状態というのはピンと来やすいように簡単に説明いたしますと、我々が感じることを開始する前の、ネガティブな感情が自分の中にあることが分かっている状態のことだとも言えます。その状態がまずはじめにあるからこそ我々は、ネガティブな感情を感じる試みをすることもできるわけですしまた、その試みを止めた後でもネガティブな感情が自分の中にあることがちゃんと分かるわけです。
で、その状態は我々の主観にはどのように映じるかと申しますと、当たり前のことではありますが、ネガティブな感情、例えば怒りの感情とか哀しみの感情といったものは存在しているがそれらを感じている者は存在しない状態として映じます。そこには怒りや哀しみの感情は見当たりますが、それらを「コチラ」から感じている私というものは見当たりません。そこにあるのはただ、怒りや哀しみの感情だけです。変な言い方になりますが、そういうのって「怒り三昧」とか「哀しみ三昧」といった風に表現できるかも知れません。だってそこには、怒りや哀しみの感情しか無いわけですから。もっと言いますと、怒りや哀しみの感情を気にする者もそこにはありません。いや正確には、それらのものを気にしたりしなかったりする者もそこにはありません。ということは、『マインド自動浄化法』の実践によってもたらされる最初の効果というのは、よくよく考えてみますと、ネガティブな感情を気にしたりしなかったりする自分が見当たらなくなることだとも言えますね。これもまたネガティブな感情を消してしまうってのとは別の意味で、一つの救いだと言えるかも知れません。
話を戻しますが、その怒りや哀しみの感情を我々が感じはじめるや否や、我々の主観には、怒りや哀しみの感情とそれを感じている者という二つのものが存在することになります。前述の伝で言いますと、「三昧」の状態が破れたってことになるでしょうか。ここに到ってはじめて我々は、怒りや哀しみの感情を気にすることが可能になります。いや、それらを気にしたり、しなかったりすることが可能になります。
(※Qに続く)
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