もう一つの眼に見えない領域


@私はエックハルトトールの真我観に組しない

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年はしょっぱなから、大勢の方々を敵に回しかねない発言をさせてもらいます。タイトルからお察しのことではあるでしようが今回は、日本のみならず世界中にたくさんの支持者とファンを持つあのエックハルトトール氏の真我観にもの申させていただく所存です。
ここに言う真我観とは簡単に申せば、何をもって真我としているのかという真我に対する捉え方のことです。この真我観というのは悟り観と切り離せない関係にありますので、真我観にもの申すことは結局、悟り観にもの申すことでもあるのは言うまでもありません。
とっかかりとして、私自身は真我をどのようなものとして捉えているのかというところから話をはじめさせていただきます。私自身は真我をどのようなものとして捉えているのかということを理解していただくためにまず皆さんにイメージして欲しいのは、ドン引きされるかも知れませんが、「この宇宙が消滅した場面」です。このようなことを申し上げると、「この宇宙が消滅したら、色々なことをイメージする私も居なくなるじゃないか…」てな突っ込みをしたくなる向きもあろうかと思いますが、その手の突っ込みはここでは押さえていただきましよう。
ちなみにここに言う「この宇宙」とは、可視の(肉眼で捉えられる)領域のみならず、いわゆる気とか波動とか量子(粒子)といったもので満たされている不可視の領域までも含む宇宙を指します。すなわちここに言う「この宇宙」とは、前者と後者の両方から成る宇宙のことなのです。精神世界と称される分野で広く知られている呼び名を使わせてもらうならそれは、「この世」と「あの世」の両方から成る宇宙、あるいは「明在系」と「暗在系」の両方から成る宇宙ということになるでしょう。ついでながら私流の言い方ではそれは、「表の領域」と「裏の領域」の両方から成る宇宙ということになります。最近の記事でも述べましたように私は、前出の可視の領域のことを「表の領域」と呼び、不可視の領域のことを「裏の領域」と呼んでいるからです。
話を戻しますが、これら二つの領域から成るこの宇宙が消滅した場面をまず皆さんにイメージしていただいた上で、次の質問をさせてください。これら二つの領域から成るこの宇宙が消滅したとしても、それでもなお残る何かがあると私が申し上げたら、あなたはその私の話を信じることができますか? 如何でしょうか。ピンと来ない方のために、言葉を変えて同じ質問をもう一度いたしましょう。前出の「表の領域」と「裏の領域」から成るこの宇宙が消滅したとしても、まだ何かが残るんだという私の話をあなたは信じることができますか?
いずれにしても私がここで申し上げたいことというのは、今の質問の中に出てきた「何か」こそが私の言う真我なんだということです。「表の領域」と「裏の領域」から成るこの宇宙が消滅したとしても、なおその後に残る何か、この「何か」こそが私が真我と見なしているものに他なりません。皆さんは、そんなものの存在を受け容れることができるでしょうか? そんなものが存在するという話は机上の空論に過ぎないと思われるでしょうか?
さらに机上の空論とも受け取られかねないことを言わせていただきますがこの真我は、私の見たところでは、この宇宙を中に容れることができるほどの大きさを持ちながら、その実体はたった一個の素粒子のごとく分割不可能な存在です。もしも真我が万物の構成要素である素粒子の集合体だとしたらそれは「裏の領域」の存在ということになり、今申し上げたような私の真我観と矛盾いたします。
この私の真我観は、既に察しておられることでしょうが、くだんのエックハルトトール氏の真我観とは根本的に異なります。何故なら彼の言う真我なるものは、「裏の領域」(「あの世」でも「暗在系」でもいいですが)に存在する何か、もしくは「裏の領域」そのものを指しているからです。この点は、彼の著作を読んでみれば明らかです。その中には例えば、樹木などに宿っている生命を真我(彼の言い方では大いなる存在)としているくだりも見受けられますが、この樹木などに宿っている生命というのは前出の「裏の領域」のものに他なりません。それを彼は真我と位置付けているわけです。この宇宙からそういったものを取り除いてもなお残るものこそを真我とする私の真我観とは決して相容れることのない真我観だと言えます。
さてそうは言うものの、エックハルトトール氏の前述のような真我観は現在「精神世界」という分野においては圧倒的な主流をなしております。圧倒的な主流というよりもむしろ、唯一の流れという方が当たっているんじゃないかと思われるほどです。まあ、私のように彼とは異なる真我観の持ち主も居ることは居るので、そこまで言うのは言い過ぎではあるでしょうが少なくとも、私以外で彼と異なる真我観の持ち主を見付けるのは至難の業であるはずです。
ということで結局、この文のタイトルにもなっている「私はエックハルトトールの真我観に組しない」という物言いは次のように言い換えることもできないではありません。現在「精神世界」という分野に広く浸透している前述のような真我観に私は組しない。
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