もう一つの眼に見えない領域


A真我を空気になぞらえてみました

真我の何たるかについて語る時、私がいつも感じていることがあります。真我の何たるかについて語りまくっている私がこんなことを申し上げるのも何ですがそれは、真我の何たるかを言葉で人様に伝えるのは所詮は不可能だということです。
どのような言葉を使い、どのような伝え方をしたとしても、それを人様に伝えるのは不可能です。それは間違った伝え方をした場合はもちろん、正しい伝え方をした場合でさえも、言葉を使う限りにおいて、人様には伝わらないという点では同じだと言えます。ここに言う「正しい伝え方」なるものがどういうものかということは、また別の話です。今申し上げたことが、悟りの何たるかを語る際にも当てはまるのは言うまでもありません。
さて一般的に、真我の何たるかをイメージで伝えることはタブー視されているというか間違ったことのようにされているところがあるようです。少なくとも伝統的な禅の世界においては、そういうことが言えるはずです。その理由は私にも分かります。真我の何たるかを体験的事実として知るためには真我に関する思考やイメージを全て取り外しておくことが最低条件として求められる、というのがその理由です。
もしも真我の何たるかについての正しい伝え方というものがあるとしたらそれはきっと、人様の心の中から真我に関する思考やイメージが落ちて行くように持って行く伝え方であるに違いありません。
しかし私はそれが分かった上で、今回は敢えて、真我の何たるかをイメージで伝えることにトライしたいと思います。いや今回に限らず次回以降も、そういうことがあるかも知れません。たとえそれが間違った伝え方であるとしても、真我の何たるかはどんな伝え方をしてもどっちみち人様には伝わらないものなんだと、いう考えもまた私にはあるからです。どうせそういうことになっているのなら、真我の何たるかをイメージで伝えることが時にはあっても良いんじゃないか、ということですね。一種の開き直りという奴です。そのことによって少なくとも、真我に関する誤解を解く一助ぐらいにはなるんじゃないかという、淡い期待もあるのですけれども。
さて真我には様々な側面がありますが、その中の一つに不可視性というものがあります。真我は不可視の存在なのです。その程度のことは言われんでも分かってるわいと返されそうですが、ご注意願いたいのは、ここに言う「不可視」とは単に肉眼に映らないという意味だけでなく、心眼に映らないという意味もあることです。ここに言う「不可視」とは、肉眼にも心眼にも映らないという意味なのです。真我は肉眼に映らないということは誰でもご存知でしょうが、肉眼だけでなく心眼にさえも映らないのが真我なんだというところまで理解しておられる方が果たして何人おられるのか、私には疑問です。
いずれにしても、真我のその不可視性をイメージで理解されたい方は、心の中で真我を空気に置き換えてみられたらよいでしょう。真我を空気のようなものとしてイメージするということです。ただしそれは、前述のような次第で、肉眼のみならず心眼にも映らない空気でなければなりません。こんなことを申し上げると、心眼にも映らないものを心にイメージすることそのものが矛盾しているとおっしゃりたい向きもあるかも知れませんが、ここではその手の矛盾を承知の上で、真我の不可視性を皆さんにイメージで理解していただこうとしているわけです。
周知のようにこの現実世界の空気は色んな分子や原子が集合してできておりますが、真我を空気になぞらえる場合それは、たった一個の素粒子でできている(現実には存在しない)特殊な空気でなければなりません。前にも申し上げましたが真我は、何かの集合体なのではなく、たった一個の素粒子のような存在だからです。
さてその次に皆さんにイメージしていただきたいのは、前述のような特殊な空気の中に我々の住んでいるこの宇宙が丸ごと納まっている図です。この宇宙を丸ごと中に納めることができるほど、真我という名の空気は大きな存在なのです。ここに言う「この宇宙」が「表の領域(この世、明在系)」と「裏の領域(あの世、暗在系)」の両方を含んでいるのはもちろんです。この点につきましては、前回の話を読まれた方はお分かりになっているはずです。
さらに申しますと、その真我という名の空気は、「表の領域」と「裏の領域」の両方から成るこの宇宙全体に浸透しそれと一体化してもおります。我々のイメージの中にしか存在し得ない空気ですね。その意味において今皆さんにイメージしていただいている真我という名の空気は、この宇宙の全ての場所に、そしてこの宇宙の中にある全てのものの中にも外にも隈なく存在していると言えます。が、見方を変えますとそれは、この宇宙の外側にこの宇宙とは別のものとして存在しているとも言えます。何故なら仮に今、この宇宙全体が消滅したとしてもなおその後に残るものが真我という名の空気だからです。
この宇宙の全ての場所に存在しているという側面と、この宇宙の外側にこの宇宙とは別のものとして存在しているという側面、これら二つを併せ持っているのが真我というものなのです。
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