もう一つの眼に見えない領域


B「今」の中に在るのは真我だけ

今回のお話は、悟りの世界への入り口と位置づけられる「今」に関するお話しです。
「今」という言葉は一般的には過去と未来の境目の瞬間と捉えられており、「今」という言葉の意味をそのように記している国語辞典もあります。が、「今」とは何か? ということをトコトン突き詰めて行きますと我々は最終的には必ず、次の結論に辿り着きます。「今」とは過去と未来の境目のことであって、過去と未来の境目の瞬間のことではない。
「過去と未来の境目」と「過去と未来の境目の瞬間」の、意味の違いがお分かりでしょうか。前者をより詳しい言い方にしたものが後者だというぐらいの認識しかお持ちでない方が、ひょっとしたら皆さんの中にはおられるかも知れませんが、前者と後者とでは意味そのものが全然違います。「過去と未来の境目」に時間の幅は存在しませんが、「過去と未来の境目の瞬間」には瞬間という名の時間の幅が存在するからです。それは取るに足りないほどの極めて短い時間の幅ではあるでしょうが、時間の幅であることに変わりはありません。そしてその瞬間という名の極めて短い時間の幅を、顕微鏡で覗くように拡大してみますと、その中にもまた過去と未来が存在していることが分かります。従って厳密に申せば、「過去と未来の境目の瞬間」というのは「今」に該当しません。厳密な意味で「今」に該当するのは「過去と未来の境目」だけなのです。
とはいえ、我々は通常そこまで厳密に「今」というものを捉えることはありませんので、国語辞典などで「今」の意味が「過去と未来の境目の瞬間」とされていることに対してケチを付ける気は毛頭ありません。それはそれでアリだと思っております。私がここで申し上げたいのは、悟りの世界への入り口としての「今」の意味を考える場合に限っては、前述のような厳密さが要求されるということなのです。
補足になりますが時間を一本の線になぞらえた場合、「今」に当たるのはその線上の点です。そしてそこに長さというものは全くありません。この話をもっと分かりやすくするために、時間を一本の線ならぬ一本のヨウカンになぞらえてみましょう。時間が一本のヨウカンだとしたら、「今」に当たるのはヨウカンを真ん中から切り分けた時にできる切れ目ということになりますが、その切れ目にヨウカンは全く含まれておりません。切れ目はただの切れ目であって食うことができません。そこには何の実体もありません。
これは何を意味しているかと申しますと、「今」の中には時間の幅が全く無いということです。そこには、我々が瞬間と名づけている微かな時間の幅さえも無いのです。
さて、その「今」が悟りの世界への入り口であることは前述の通りですがそこには、この宇宙の「表の領域(この世、明在系)」だけでなく、多くの人が悟りの世界と関係あるように思ってらっしゃるこの宇宙の「裏の領域(あの世、暗在系)」もまた存在しません。言い換えれば、それら二つの領域から成るこの宇宙そのものが「今」の中には存在しません。
その理由は、「今」の中には何かが存在するために必要な時間の幅というものが全く無いからです。時間の幅が全く無いところに何が存在できるというのでしょうか。何一つ存在できません。何かが存在するためには必ず、存在する時間の幅を必要といたします。「表の領域」と「裏の領域」から成るこの宇宙とて、その例に漏れるものではないのです。
ということで、「表の領域」の奥にある「裏の領域」こそが真に実在するものだと思い込んでおられた方には、ここでその思い込みの間違いを指摘させていただかねばなりません。それが「今」の中には存在しないということは取りも直さず、どこにも存在しないということに他ならないからです。「表の領域」と同じく「裏の領域」もまた、我々の眼に存在しているかのように見えているだけなのです。
ちなみに、その「表の領域」に所属しているものの中にはこの私の体も含まれておりまた、その「裏の領域」に所属しているものの中にはこの私の心も含まれております。従って「今」の中には、この私の体も心も存在しない、言い換えれば、体と心から成るこの私も存在しないということになります。ここに言う心が、思考の出所である顕在意識のみならず、感覚(感じる働き)の出所である潜在意識をも含んでいるのはもちろんです。余談ですがそこのところ、世界的な「説法者」であるあのドイツの某氏はどう捉えておられるんでしょうかね。それについて質問したら、嫌な顔をされるでしょうか。
さてこういう話をいたしますと皆さんは、要するに「今」の中には如何なるものも存在しないんだな、と早合点されるかも知れませんが、そういうわけでもありません。唯一真我だけは「今」の中にも存在します。というより、その真我は「今」の中にしか存在しません。「今」の中にしか存在しない唯一のもの、それが真我なのです。
世の多くの人たちはこう言います。あらゆるものは「今」の中にしか存在していない、と。が、本当はそれは間違いで、「今」の中に存在するのは真我という一つのものだけです。真我以外の如何なるものも「今」の中には存在しません。言うまでもなく、真我の在りかと誤解されがちな「裏の領域」でさえも。その意味において、「表の領域」と同じく「裏の領域」もまた夢のお仲間ということになりますが、真我とは実はそれら二つの夢の目撃者です。より正確に申せば、真我とはそれら二つの夢を「今」において目撃しているもののことです。そう言えば、あのオショー・ラジニーシは何かの本の中で「本当に存在しているのは目撃者だけだ」みたいなことを語っておりましたっけ。
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