私の真我観の特殊性について

当サイトにやって来られるような方、あるいはいわゆる「精神世界」という分野に関心をお持ちの方なら誰でも、次のことを理解しておられると思います。
もし仮に、この宇宙空間から我々の眼に見えるもの全てを取り除いてしまったとしても、この宇宙空間は文字通りのカラッポになるわけではない。何故ならその後も、我々の眼に見えないものによって、この宇宙空間は満たされているから。
ここに言う「我々の眼に見えないもの」は気と呼ばれたり、万物を生かしている生命エネルギーと呼ばれたり、量子(粒子)と呼ばれたり、プラーナと呼ばれたりいたしますが、それら全ては突き詰めると最終的には一つの同じものに帰すると考えられます。
この宇宙は我々の眼に見えるものが存在する領域の他に、今申し上げたような我々の眼に見えないものが存在する領域というものがあります。私の呼び方では前者は「表の領域」、後者は「裏の領域」と言いますが、ここではこの呼び方を使って真我のありかについて考えてみましよう。
皆さんよくご存じかと思いますが、現在(今後のことはさておくとして)いわゆる「精神世界」という分野では、真我のありかを「裏の領域」(ニューサイエンスで言われる暗在系と同じかほぼ同じと見なせます)とする見解が圧倒的な主流をなしており、それ以外の見解を示しておられる方を見つけるのは困難な状況にあるとさえ言えます。私の見たところ、悟りや真我の何たるかを人様に説いて聞かせる立場にある方々のほぼ全員が前述のような見解をお持ちですしまた、悟りや真我を探求中の方々のほぼ全員も、それの影響もあってか、同様の見解をお持ちのように見受けられます。
そんな中にあって、真我のありかについての私の見解は明らかに特殊かつ異端だと言えます。「表の領域」でも「裏の領域」でもない、強いて名づけるとすれば「第三の領域」とでも言うべき領域こそが真我のありかであると私は見ているからです。ここに言う「第三の領域」は、この宇宙から「表の領域」と「裏の領域」を二つとも取り除いても、その後に残る領域です。これについて皆さんは、どう思われるでしょうか? おそらく「そんなものが在るわけはない」と思われるんじゃありませんか。
この宇宙から「表の領域」を取り除いても「裏の領域」は残るという話なら、皆さん全員、即受け容れることができるはずです。しかし、この宇宙からそれら二つの領域を取り除いてもまだ残る領域があるなんていう私の話に付いて来れるのは、皆さんの中でも僅少でしょう。僅少どころか皆無の可能性さえあります。
当サイトにおける真我に関する私の話は当然ながら、その「第三の領域」という、現在ほとんどの人に認知されていない領域を真我のありかとする見地に立脚しています。その領域を真我のありかとする見地に立って私は、真我に関する色々な話を当サイトの中でしているわけです。
もしも皆さんが、大半以上の人たちがそうであるように、真我のありかを「裏の領域」とする固定観念を持ったまま、そんな私の「真我話」に接されたら、反発や違和感を感じて当たり前です。
その状況というのは例えて申せば、多少おおげさかも知れませんが、私はナスビの話をしているのに皆さんはキュウリの話だと思いながら私の話を聞いているようなものだとも言えます。もし仮にそういうことがあったとしたら、皆さんは私にこんな突っ込みを入れて来られるかも知れません。「あなたはキュウリのことを何にも分かっていない!」
こんな突っ込みを受けたら私としてはこうやり返すしかありませんね。「私はキュウリの話をしているわけではありません。キュウリの話だと思いながら私の話を聞かないでください!」
この例え話から、私が真我に関する話をする時、皆さんにどのような「姿勢」で受け止めていただきたいのか、汲み取ってもらえるでしようか。要するに、私の話に接している間だけは、真我とはこういうものであるはずだというご自分の見解は横に置いといていただきたいな、ということです。
先ほど出てきた「第三の領域」という言葉の意味をより詳細に知りたい方、及び、私の真我観の最も基本的な部分に触れたい方は当サイトの『マインド自動浄化法』というタイトルの文を読まれたら良いでしょう(入り口はコチラ)。私の真我観の最も基本的な部分が盛り込まれているという意味でこの文は、当サイトに初めて立ち寄られた方に一番先にお読みいただきたいと私が思っている文でもあります。投稿の日付は現時点(これを書いている今の時点)では一番新しいのに、そこのところは皮肉な文だと言えます。(終わり)
もとのページへ