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真我という見る(気づきの)意識

真我を心で掌握できない理由

真我は体感も、実感も、認識も、理解もできない。真我は体感や実感や認識や理解がはじまる以前の原初の意識。
私の悟り観・真我観

真我はこの私とこの宇宙の埒外(らちがい)にある

体と心からなる私。そして可視の物質領域と不可視の起動領域からなる宇宙。だが真我はこれらの外側にある。
私の悟り観・真我観

真我の常識のウソ・真我は波動ではない!

真我の実体は波動ではなく一粒の無限大の粒子であることをプンジャジの生前の言葉を参照しつつご説明します。
悟り系のつぶやき

瞑想・時間を棒に振るための座り

あえて時間を棒に振る意識を持つことで、何をするにも付いて回る目的意識という名の重荷を中和し遊びに変える。
真我という見る(気づきの)意識

悟り・三次元空間の外側への視点移動

悟りは視点の位置が三次元空間の外側に移動することでもあるので超越という側面を持つ。超越なき悟りは偽物。
真我という見る(気づきの)意識

真我の〈感性なき知覚〉を顕在化させるオショーのメソッド

思考も感性も排除して花を見ることにより、真我で花を知覚することが可能になると説くオショーの真意とは?
真我という見る(気づきの)意識

“真我で見る”の意味をオショーに訊く

真我は見る者であるという物言いが、真我は感じる者であるという意味合いでなされているとしたら間違いだ。
真我という見る(気づきの)意識

続・悟る主体は誰なのか?(感じる以前の気づきのこと)

真我の別名としての「気づき」は、多くの人が誤解しているように、「感じること」とイコールなのではない。
真我という見る(気づきの)意識

悟る主体は誰なのか?

悟る主体は体と心からなるこの私ではなく真我。悟り以前の私とそれ以後の私に連続性がないのはそのためだ。
悟り系オリジナル・メソッド

タローのお役立ちオリジナル・メソッド集/動画版

『時間を止める三ステップ』『お習字にもダンスにも使える“瞑想系身体動作法”』『瞑想系〈睡眠不足〉緩和法』他
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