私が悟りと見ているもの、真我と見ているものについて、お話しします。

真我を心で掌握できない理由
真我は体感も、実感も、認識も、理解もできない。真我は体感や実感や認識や理解がはじまる以前の原初の意識。

真我はこの私とこの宇宙の埒外(らちがい)にある
体と心からなる私。そして可視の物質領域と不可視の起動領域からなる宇宙。だが真我はこれらの外側にある。

真我の常識のウソ・真我は波動ではない!
真我の実体は波動ではなく一粒の無限大の粒子であることをプンジャジの生前の言葉を参照しつつご説明します。

悟り・三次元空間の外側への視点移動
悟りは視点の位置が三次元空間の外側に移動することでもあるので超越という側面を持つ。超越なき悟りは偽物。

真我の〈感性なき知覚〉を顕在化させるオショーのメソッド
思考も感性も排除して花を見ることにより、真我で花を知覚することが可能になると説くオショーの真意とは?

“真我で見る”の意味をオショーに訊く
真我は見る者であるという物言いが、真我は感じる者であるという意味合いでなされているとしたら間違いだ。

続・悟る主体は誰なのか?(感じる以前の気づきのこと)
真我の別名としての「気づき」は、多くの人が誤解しているように、「感じること」とイコールなのではない。

悟る主体は誰なのか?
悟る主体は体と心からなるこの私ではなく真我。悟り以前の私とそれ以後の私に連続性がないのはそのためだ。

真我・心の外側にあるもの
真我と言えば心の一番深い層つまり普遍的潜在意識(集合的無意識)のことと見なされやすいが実は違うって話。

見ているものに釘付けでもある真我/真我とは? 悟りとは?(下)
仮に三次元空間を一枚の写真に置き換えた場合、真我はその上に立つ立方体のような存在だとも言えるのだが…。