真我という見る(気づきの)意識

真我の、見る意識という側面に踏み込みます。

真我という見る(気づきの)意識

悟り・三次元空間の外側への視点移動

悟りは視点の位置が三次元空間の外側に移動することでもあるので超越という側面を持つ。超越なき悟りは偽物。
真我という見る(気づきの)意識

真我の〈感性なき知覚〉を顕在化させるオショーのメソッド

思考も感性も排除して花を見ることにより、真我で花を知覚することが可能になると説くオショーの真意とは?
真我という見る(気づきの)意識

“真我で見る”の意味をオショーに訊く

真我は見る者であるという物言いが、真我は感じる者であるという意味合いでなされているとしたら間違いだ。
真我という見る(気づきの)意識

続・悟る主体は誰なのか?(感じる以前の気づきのこと)

真我の別名としての「気づき」は、多くの人が誤解しているように、「感じること」とイコールなのではない。
真我という見る(気づきの)意識

悟る主体は誰なのか?

悟る主体は体と心からなるこの私ではなく真我。悟り以前の私とそれ以後の私に連続性がないのはそのためだ。
真我という見る(気づきの)意識

見ているものに釘付けでもある真我/真我とは? 悟りとは?(下)

仮に三次元空間を一枚の写真に置き換えた場合、真我はその上に立つ立方体のような存在だとも言えるのだが…。
真我という見る(気づきの)意識

真我・三次元空間を俯瞰する者/真我とは? 悟りとは?(中)

真我=私たちの内なる見る意識は三次元空間を俯瞰できる場所にあるがゆえに三次元空間の広がりを認識できる。
真我という見る(気づきの)意識

悟り=真我が自分自身を見ること/真我とは? 悟りとは?(上)

真我とは私たちの内なる見る者。そして悟りとは、その真我が真我自身を見るという不思議な転回。
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